貧乏は想像以上に残酷だ
ビル・ゲイツは言った。 「貧困をロマンや謙虚といった言葉で覆い隠してはならない。貧しく生まれるのは罪ではないが、貧しく死んでいくのは自らの過ちだ」。 現代人は、富の蓄積よりも人生の価値を重要視する傾向がある。私自身、そう思う。しかし、このように言う人たちの真意はどこにあるのか、常に見極める必要がある。 この言葉を口にするのは、たいてい次の3つの理由からだ。 第1に、何が人生の価値なのか、基準が曖昧である。 第2に、貧困がどれほど恐ろしいか知らない。 第3に、自分がお金持ちになれる自信がない。 多くの人は、お金よりも自由が大切だと言う。 人生の価値を維持するには、自由が必要だからだ。 しかし、現代の経済社会の枠内で自由を得るには、莫大なお金が必要だ。 安定した仕事だけでは足りない。事業の世界は常に変化するので、どんな大企業でも5年先はどうなるかわからないからだ。 人生の価値を保つには、いまの瞬間だけでなく、人生全体をとおして見なくてはならない。つまり、現在を存分に活用して、未来全体に資源を配分してやる必要があるのだ。 自分は質素な暮らしで、不足も感じず満足できるとしても、配偶者や子どもたちの価値観は違うかもしれない。あなたの価値観をほかの家族に強要してはならない。彼らは豊かさやショッピングや贅沢な食事に、人生の重きを置いているかもしれない。あなたに家族を養う責任があるなら、こうした家族の欲求も無視してはならない。
「お腹が空いた1日」はいかに長く感じられるか
貧乏暮らしをしたことのない人は、貧乏がどれほど怖いことか想像もできない。 精神的貧困は瞑想(めいそう)や読書で補うことができるが、経済的貧困は前向きな気持ちを摘み取り、自尊心の最後の一滴まで奪い去る。貧しければ、礼儀も品位もなくなる。食べ物や住居に困るレベルになると、人間の尊厳を守ることはできない。借金でもしようものなら、1日は1カ月のように長く、1カ月は1日のように短く感じられる。空腹を抱えた毎日は長く、毎月の借金の返済日はあっという間にやってくるからだ。 また、貧乏暮らしで家族のきずなはバラバラになる。貧しさが長引くと逆に欲が深くなり、鬱憤(うっぷん)が溜(た)まってストレスで健康が損なわれる。貧乏生活に陥ると、心にゆとりをもって穏やかに暮らすことも難しい。物事を客観的に見ることが難しくなり、傷つきやすくなる。不満や恨みが増え、人間関係にヒビが入る。「貧しく死んでいくのは自らの過ち」というビル・ゲイツの言葉にも納得がいくだろう。
絶対にお金持ちになれない人たちの発想
お金持ちになるには、まず自分がお金持ちになれると信じることだ。 あるお金持ちを軽蔑することはあっても、富を軽蔑してはならない。もちろん、お金持ちになれると信じたからといって、必ずしもお金持ちになれるわけではない。しかし、自分はお金持ちになれないと思う人は絶対にお金持ちになれない。お金持ちになるのは、自分がお金持ちになれると信じる人だけだ。 自分がお金持ちになれると信じることで、実行し、考え、挑戦できるようになり、道が開けるからだ。実行しようと思うから貯金し、考えるから勉強し、挑戦しようと決意するから誰よりもがんばって働くようになる。 実際、億万長者になるためには時代的環境や運も必要だ。しかしその手前の「百万長者」までは、努力次第で誰でもなれる。真面目に働き、節約し、努力を続ければ、早ければ40代、遅くとも50代には百万長者になれるだろう。貧乏が想像以上に残酷なように、お金持ちの人生は想像以上に幸せなものだ。 【つづきを読む】『希代の起業家が考える「給料以上に稼ぐ人」の“納得の基準”…上司から信用される部下になって億万長者になる方法』
キム スンホ(スノーフォックスグループ会長)