パレスチナ自治区のガザで、イスラム組織「ハマス」とイスラエル軍の戦闘が激化している。その中でG7の外相は「戦闘の一時休止」などを支持する共同声明を出した。また、米国がイスラエルと協議して「1日4時間の戦闘休止」に導いたと発表するなど、各国による「アピール合戦」が加速している。だが筆者は、日本は目先の成果にとらわれず、たとえG7で“置いてけぼり”になっても中立的な立場を貫くべきだと考える。その理由とは――。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人) 【画像】空爆によって煙が立ち上るガザ ● 米国発表の「ガザ北部停戦」は 本当に実行されるのか パレスチナ自治区・ガザ地区を実効支配するイスラム組織「ハマス」と、イスラエル軍の戦闘が始まってから1カ月が過ぎた。 戦闘が激しさを増す中、主要7カ国(G7)の外相会合が11月7~8日に東京都内で開かれた。その結果、G7の外相は「戦闘の一時休止」「ガザ地区への人道回廊の設置」などを支持する共同声明を発表した。 この共同声明について日本の上川陽子外相は、日本とG7にとって「重要な成果」だったと強調した。だが実際は、日本や他の6カ国は中東情勢の沈静化に向けて具体的な道筋を描けたとは言い難い。他国も含め、やや「アピール」が先走っている印象だ。 この他にも、米ホワイトハウスは11月9日に「イスラエル軍はガザ地区北部で1日4時間にわたって戦闘を休止する」と明らかにした。この意思決定は「米国がイスラエル側と粘り強く協議を重ねた結果」だという。 ただしそれ以降、イスラエル側から停戦に関する詳細な説明はない。同国のベンヤミン・ネタニヤフ首相は「戦闘は継続する。ただ、特定の場所で数時間、戦地から住民を避難させたい」「人質の解放なしには停戦は実現しない」と含みのあるコメントを残している(出典:NHKの報道より)。 また、国連の人権理事会から命を受け、パレスチナの人権状況について調査しているフランチェスカ・アルバネーゼ氏は、1日4時間の戦闘休止について次のような厳しい指摘をしている。 「人々に一息つかせ、爆撃のなかった生活の音を思い出させるだけ」「パレスチナで集団虐殺が行われるおそれがあると指摘される中、(米国は)イスラエルを擁護している」(こちらも上記のNHK報道を参照)。 これらに鑑みると、米国は成果を誇っているものの、今回の「粘り強く協議を重ねた結果」が本当に人道状況の改善につながるかは不透明だ。 筆者の見立てでは、このように国際社会で何か問題が起きたとき、各国が外交の舞台で「目先の成果」を出すことに執心し、「アピール」に重きを置くことは本質を見失っている。 そして、特に日本はそうした対応を取るべきではないと考える。その理由について、歴史をひもときながら語っていきたい。
● 安倍元首相の「対露外交」は 時を経て成果をもたらした まずは一度、中東情勢から離れて論を進める。 故・安倍晋三氏は、首相在任時にウラジーミル・プーチン露大統領と27回も会談した。だが、結果的に「北方領土の返還」を実現できなかった。 目立った成果につながらなかったことから、この対露外交は失敗だったと評されることが多い。それでも筆者は「対露外交」こそ、安倍外交において特に評価できるポイントではないかと考えている。 というのも、22年に勃発したロシア・ウクライナ紛争では、欧米諸国がロシアへの経済制裁を相次いで実施した。それに対するロシアの報復も行われ、事態は混迷を極めた。 ところが、日本も「対ロシア経済制裁」を行ってきたにもかかわらず、ロシア極東における石油・天然ガス開発事業「サハリンI・II」の権益を維持することができた。 ウクライナ紛争の開戦当初、ロシアが三井物産や伊藤忠商事など日本勢から権益を奪い、中国やインドなどに渡すことが危惧されていた。その心配は杞憂(きゆう)で終わったわけだ。 その背景には、ロシア側の事情があったとみられる。 筆者の恩師で、日本・北朝鮮を専門とする地域研究家である英ウォーリック大学のクリストファー・ヒューズ教授は、かねて「ロシアは、極東・シベリアが中国の影響下に入ってしまうことを懸念しているのではないか」と指摘していた(第84回)。 ロシアは極東・シベリア開発で、中国とのパイプラインによる天然ガス輸出の契約を結び、関係を深めてきた。しかし中国との協力関係は、ロシアにとって「もろ刃の剣」だ。シベリアは豊富なエネルギー資源を有する一方で、産業が発達していない。なにより人口が少ない。 そこへ、中国から政府高官、役人、工業の技術者から、清掃作業員のような単純労働者まで「人海戦術」のような形でどんどん人が入ってくるとどうなるか。シベリアは「チャイナタウン化」し、中国に「実効支配」されてしまう。ロシアはこれを非常に恐れていたのだ。 ゆえに、ロシアは極東開発について、長い間日本の協力を望んできた。中国だけでなく、日本も開発に参加させてバランスを取りたい――。これがロシア側の本音だったのだろう。 その要望に応え、ロシアへの経済協力に取り組んできたのが安倍首相(当時)だ。 16年、安倍氏とプーチン大統領は日露首脳会談を行い、エネルギーや医療・保健、極東開発など8項目の「経済協力プラン」を実行することで合意した。官民合わせて80件の共同プロジェクトを進めるもので、日本側による投融資額は3000億円規模になった。過去最大規模の対ロシア経済協力であった(第147回)
当時の日本による経済協力は、「資源輸出への依存度が高く、資源価格の変化に対して脆弱性が高い」というロシア経済の弱点を補うものだった(第297回・p4)。 その結果、プーチン大統領は当時、日露経済協力について「信頼関係の醸成に役立つ」と評価していた。今でこそウクライナ紛争を巡る情報戦の渦中にいる人物だが、この発言は「本音」だったのではないだろうか。 なお、ウクライナ紛争の前になるが、筆者はサハリンを5度訪問したことがある。あの頃のロシアには安倍氏に対する感謝の念と、日本に対する信頼があったと感じた(第90回・p2)。ウクライナ戦争が泥沼化し、日露間が対立する関係にある現在も、その名残があるように思える。 つまり、安倍氏による対露外交は北方領土の返還にはつながらなかったものの、そこで培った信頼関係が「布石」となり、時を経て「サハリンI・II」の権益維持に貢献した――という見方ができる。 外交とは「目先の成果」が出るかどうかにかかわらず、各国との確固とした信頼関係を日々構築していくことが重要なのだろう。 ● 中立である日本は G7協議で「おいてけぼり」の過去も では、中東情勢に話を戻したい。 日本はこれまで、イスラエルとパレスチナ自治政府の間で中立の立場を保ってきた。 日本は石油輸入量の90%以上を中東に依存しており、エネルギーの安定供給にはアラブ諸国との関係維持が不可欠だ。ゆえに日本は、アラブ諸国が支援するパレスチナに対して財政支援を続けてきたわけだ。 一方、日本はイスラエルにとって最大の後ろ盾である米国など「自由民主主義」陣営への配慮も継続してきた。日本の安全保障は、自由民主主義陣営の協力なしでは成り立たないからだ(第313回・p4)。また、イスラエルのハイテク産業が成長著しいことから、日本は対イスラエル投資を積み増してきた。 結果として日本は両陣営と良好な関係を継続できているが、「副作用」として外交の自由度は狭まっている。 実は今年10月末、「日本以外」のG7メンバー6カ国が中東情勢について協議し、「イスラエルの自衛権を支持する」との声明を発表したことがある。この協議に関して、中立である日本は蚊帳の外だった。だからこそ、冒頭の共同声明は上川外相にとって格好のアピール材料になったのだろう。
● 日本と英米独は そもそも同じ土俵ではない だがそれでも、日本が国際社会で“手柄”を得ようとするのは得策ではない。 そもそもG7の一角である英国は、パレスチナ問題の火種である「三枚舌外交」を展開していた当事者である。ナチスによる「ホロコースト」(ユダヤ人大量虐殺)がパレスチナ問題に根深く関わっているドイツも同様だ。米国にはユダヤ人の市民が多く、ユダヤ人の利益を守るためのロビー活動(ユダヤ・ロビー)も盛んである。 そうした国々と日本では、過去の歴史があまりにも異なる。他国と同じ土俵に立ってアピールするのではなく、「日本はそのままでいい」のではないか。 日本を取り巻く状況に目を向けると、国民はインフレに苦しんでおり、石油などのエネルギーの安定供給の確保が欠かせない(第339回)。今後の日本の動きによって、中東との関係が悪化するようなことがあってはならない。 その上で「台湾有事」の懸念も高まっており、米国やNATOとの安全保障体制を強化する必要もある(第310回)。これらを崩すリスクも避けるべきだ。 では何をすべきかというと、日本が掲げる「外交の原則」を貫くことだ。イスラエルと、将来の独立したパレスチナ国家が平和かつ安全に共存する「2国家解決」の支持である。 そのためには、ガザ住民のための人道回廊の設置や、人道援助機関のアクセスの確保といった施策が欠かせない。 どちらか一方に肩入れしているわけではないため、「バランス外交」と批判される可能性もある。派手なアピールにもつながらない、和平に向けた極めて地道な施策だ。 だが、この施策は住民の救済にとどまらず、エネルギーの安定供給や安全保障体制の強化など、回りまわって“日本のメリット”にもつながるかもしれない。「サハリンI・II」の事例と似た構図だ。 そのため、もし日本が今後「ガザ人道危機」の解決において、G7の中で目立った成果を上げなかったとしても「それはそれでいい」というのが筆者の見解だ。繰り返しになるが、その場合も「失敗」と断定するのは早計である。
上久保誠人