「グロリア」という映画は当時から非常に話題になっていた映画で、私もず~~~と気になっていた映画です。 シャロン・ ストーンの映画の方を早く見ましたが、この映画も面白かったです。 本家本元の映画を5年ほど前に見ることが出来て、話題になるだけの映画だと思ました。 今覚えているのは、子供を預かってくれと頼まれたときにヒロインが「あんたとこのガキはこましゃくれの可愛げのないガキだから面倒を見ることは嫌だ」みたいな事をずけずけと言っていたのを思い出しました。 これから凄惨な殺しが始まるのに「クス」と笑ってしまったのを覚えています。 とてもいい映画です。
『グロリア』映画自体がひとつのジャンル。あの黒澤明も絶賛を惜しまず
『グロリア』あらすじ
ニューヨークのサウス・ブロンクスのあるアパートに住むプエルトリコ人のジャック一家。マフィアの会計係だった彼は、組織の情報をFBIに洩らしていたため、一家ごと惨殺されてしまう。その直前、ジャックは息子フィルを同じアパートに暮らす中年女グロリアに預けており、フィルだけは生き残ることが出来た。しかし組織の重大な秘密をフィルが持ち出していたことを知ったマフィアは、グロリアの命をも狙い始める。子供嫌いなグロリアはフィルを見捨てようとするが、次第に母性本能が目覚めていく。危険を潜り抜けて行く中で、2人の間には親子にも似た愛情が芽生えていくが……。
『レオン』から日本映画まで、与えた影響
アクション、コメディ、SF 、ラブストーリー……など、映画には大枠としてのジャンルが存在する。ジャンルはさらに細分化することも可能で、突き詰めていけば「●●のような作品」と数作をまとめることもできる。 たとえば2023年の日本映画『リボルバー・リリー』を説明する際に「『グロリア』のような映画」という表現がしっくりきた。関東大震災後の東京で、綾瀬はるかが演じる秘密工作員が、ある組織に家族を殺され、ただ一人生き残った少年を守りながら戦い続ける。国も時代も違うが、1980年のアメリカ映画『グロリア』と基本は同じである。 また、「『グロリア』のような映画」としてあまりに有名なのが1994年のリュック・ベッソンの代表作『レオン』。12歳の少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)が父親の麻薬絡みのトラブルで家族全員が皆殺しにされ、アパートの隣室に住む殺し屋稼業のレオン(ジャン・レノ)に助けを求める。レオンはマチルダを守りながら、彼女に戦い方も教える。これ、『グロリア』とほぼ同じ物語だと言っていい。 『グロリア』では、ギャング組織の会計士が大金を横領したことで命を狙われ、6歳の息子のフィル以外、家族もろとも犠牲になる。組織の秘密が記された手帳を託されたフィルは、同じアパートに住むグロリアと逃避行を続けるが、グロリアも組織と関係をもつ裏稼業の女だった……と、『レオン』とは男女を逆にしただけのパターンである。 韓国映画でウォンビンが主演した2010年の『アジョシ』も、近所の少女を守るため犯罪組織に立ち向かう流れが『グロリア』を受け継ぐ。その他にも、デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングの『マイ・ボディガード』(04)など、『グロリア』の香りが漂う作品は数多く思い出される。また設定は大きく異なるが、1998年のブラジル映画で、米アカデミー賞では主演女優賞候補にもなった名作『セントラル・ステーション』は、目の前で母親を亡くした少年を、初老のヒロインが遠方に住む彼の父親の元へ送り届けようとする。彼らの関係に『グロリア』の記憶が重なった人も多いはず。 血縁関係はないが、一人では生きていけそうにない存在を守ること。そして最初こそ心が通じ合わない両者に、徐々に離れがたい絆が育まれ、年上の者には庇護者の本能がめざめ、年下の者は大人としての生き方を学ぶ……。このようなスタイルを、やや強引かもしれないが小さなジャンル「『グロリア』のような映画」と命名してもいいだろう。それほどまで、『グロリア』の設定は時を超えて観る者の心を熱くするのだ
カサヴェテス作品としては異例の観やすさ
『グロリア』は1980年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。ジーナ・ローランズがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた、ジョン・カサヴェテス監督の代表作のひとつ。ただしカサヴェテスの作品としては、かなり異色の部類に入る。 アカデミー賞助演男優賞候補になった『特攻大作戦』(67)や、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)など数々の作品で俳優として活躍し、『アメリカの影』(59)から12本の長編映画で監督を務めたジョン・カサヴェテスは、俳優としてというより、監督として後の世代に多大な影響を与えており、俳優とのワークショップから映画を作った『アメリカの影』のように、即興の演技も重視するスタイルなどは、日本の濱口竜介監督の作品にも色濃く受け継がれている。 カサヴェテスの映画の多くは、俳優の演技だけでなく、極端なクローズアップやぶれるフォーカス、あえて逆光の照明、さらに唐突な編集に至るまで、従来の映画の法則をあえて無視したような演出が目につく。そのスタイルが映画の展開ともシンクロするのが『オープニング・ナイト』(77)で、主人公の舞台女優が劇作家や演出家を無視して、本番中に自分でセリフを変え、共演者とともに即興の舞台に変えてしまうドラマは、まさにカサヴェテス映画を体現したと見てとれる。 こうしたカサヴェテスの演出スタイルは、俳優にとっては様々なチャレンジが可能となることで、ピーター・フォーク、ベン・ギャザラ、シーモア・カッセルといった個性派俳優が喜んで出演し、いわゆる“カサヴェテス一家”を形成。1989年にカサヴェテスが亡くなった後も彼らの友情は続いたようで、2000年頃だったか、筆者もLAのレストランでローランズ、フォーク、ギャザラらが楽しそうに食事をしている姿を目撃している。 このように映画を“破壊する”側面もあるカサヴェテス映画は、観る人によってヘビーな違和感をもたらすが、『グロリア』は意外なまでに“観やすい”作りなのである。カサヴェテスは自分で脚本を書いておきながら、『グロリア』をあまり好きではないと語っており、自身の方向性と異なるゆえに、一般的に愛されたという皮肉な結果にもなった。『グロリア』はカサヴェテス作品で最も興行的にも成功している。 意外なのは、この『グロリア』を日本の巨匠、黒澤明が大絶賛していること。やや長いが、彼の言葉を引用する。 “二十年前、私は巴里のシネマテークで『アメリカの影』と云う映画を見ました。 その時、試写室には、その映画の作者の青年も居ましたが、私が作品の素晴らしさに感激し、その作者の青年と話したい、と云ったところ、その青年は、一目散に廊下を逃げて行ってしまいました。 それから二十年、『グロリア』の作者が、あの『アメリカの影』の作者だと知った時、私は思わず手を叩いて、飛び上る程、嬉しくなりました。 (中略) 『アメリカの影』の、みずみずしい映画感覚は『グロリア』にも流れています。この映画の流れの美しさは、生れつきのものだと思います。 私はこれ迄、試写室ですぐれた映画を見て感動した事は沢山あります。しかし『グロリア』を見た試写室の感動は、それとは違う特別なものでした。 それは、二十年前のシネマテークの試写室の感動と遠く離れて、しかもなほ、強くむすびついたものだったからです。”(「サンケイ新聞」1981年2月26日夕刊) 作家性の強い処女作の『アメリカの影』と、エンタメ的な側面も強い『グロリア』に同じ感覚を発見するあたりが、“映画の神様”と言われる黒澤明監督らしい。
映画初出演の子役は、この1本で引退
そんなカサヴェテスの演出以上に、『グロリア』でインパクトを残すのは、やはり主演ジーナ・ローランズであり、いま改めて観ても、そのカリスマ的な存在感は色褪せていない。裏稼業との関係性を“匂わす”表情の数々に、容赦ない銃撃の手さばき。何より、最初は預かったフィルに手を焼き、疎ましくも感じていたグロリアが、母性愛にめざめていくプロセスに、ローランズの真骨頂が発揮されている。料理などしないグロリアがフィルのために目玉焼きを作るが、まったくうまくできず、フライパンごとゴミ箱に捨てるシーンなど、ローランズの名演がキャラクターを息づかせる。実際のローランズは、カサヴェテスとの間に3人の子供に恵まれ、長男のニック・カサヴェテスは父に続いて映画監督となり、『ジョンQ』(02)などを撮った。次女のゾエ・カサヴェテスも『ブロークン・イングリッシュ』(07)など監督・脚本家として活躍している。 そしてローランズとほぼ同じくらいの出番を任されたのが、本作が初の映画となったジョン・アダムスで、350人ものオーディションを経て当時7歳で大抜擢。クライマックスなど演技初体験とは思えない表情を見せているものの、アダムスは1980年度のゴールデン・ラズベリー賞の最低助演男優賞に選ばれてしまう。冷静に考えれば、ひどい仕打ちであるが、同賞を同点で受賞したのが、歴史に残る名優のローレンス・オリビエ(『ジャズ・シンガー』により選出)だったことはアダメスにとって名誉かもしれない。アダメスは『グロリア』のみで俳優業を辞め、NYソーホーのビリヤード場でマネージャーとしての職を得たという。 『グロリア』はコロンビアというメジャー・スタジオの製作だが、基本的にカサヴェテスは自分たちで製作費を捻出するインディペンデントの映画作りを続けた。そのため妻のジーナ・ローランズが主演として協力したケースが多くなる。『グロリア』も当初は、別の俳優(バーブラ・ストライサンドと言われている)に主人公役が打診されたが断られ、ローランズが喜んで引き受けたという。このあたりの関係は、日本では独立プロで映画製作を続けた新藤兼人監督と乙羽信子によく似ている。 『グロリア』を自作としてそこまで気に入っていないとされるジョン・カサヴェテスだが、1980年代後半に『グロリア』の続編の脚本を執筆していた。ジーナ・ローランズの主演も想定されつつ、その事実は1989年の彼の死後に発覚した。1999年には名匠シドニー・ルメットがメガホンをとり、シャロン・ストーン主演で『グロリア』がリメイクされたものの、残念ながら評価は低く、興行的にも振るわなかった。リメイクの失敗によって、オリジナルは唯一無二の輝きをいつまでも放ち続けるのである。 参考文献:「大系 黒澤明」第3巻 編・解説/浜野保樹 講談社 文:斉藤博昭 1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。クリティックス・チョイス・アワードに投票する同協会(CCA)会員