1967年の第3次中東戦争(6日戦争)や1973年の第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)などで、イスラエル軍はアラブ諸国の旧ソ連製T-55戦車を数百両鹵獲(ろかく)した。 戦場で降り注ぐミサイルから歩兵を守るため、大型車両を切実に必要としていたイスラエルは、1980年代末以降、これら古い戦車の一部を重装甲兵員輸送車に改造し始めた。 それから35年後、イスラエルは「アチザリット」(ヘブライ語で「冷酷な、無慈悲な」を意味する形容詞の女性単数形)と名づけられたこれらの車両を、前線用におよそ100両運用していた。だが7日、ハマスのテロリストたちによって、その10分の1強にあたる12両前後が鹵獲された。 イスラエルが1日で被った一種類の車両の損失としては、過去数十年で最悪の部類に入るものになった。 重量40トン、乗員4人のT-55は、100mmのライフル砲、最大200mmの装甲などを備え、1960~80年代にアラブ諸国の軍隊の主力戦車だった。 したがって、イスラエルと戦って敗れたエジプトやシリア、ヨルダンが、多数のT-55を遺棄することになったのは当然だった。一部の集計によれば、その数は500両にのぼるという。イスラエル側からすれば、車台を再利用してまったく新しい車種をつくりだすのに見合うほど、大量に手に入ったということだ。 第4次中東戦争でイスラエル軍は厳しい教訓をいくつか学ばされた。そのひとつが対戦車ミサイルの攻撃で大きな損害を出したことだった。アラブ側によるソ連製のサガー有線誘導対戦車ミサイル(9M14マリュートカ)を使った攻撃で、イスラエル側は戦闘車両を数百両撃破されるか損傷した。 イスラエルの戦車部隊は、歩兵部隊の近接防御によってミサイル攻撃から守ってもらう必要があった。だが、その歩兵部隊も、下車して敵と交戦するには兵員輸送車による近接防御で守ってもらう必要がある。そして兵員輸送車は、歩兵部隊が対処しようとしているミサイル攻撃を生き延びるために、やはり防御が必要だった。 その解決策のひとつになったのが、鹵獲したT-55だった。イスラエル軍の武器科はT-55の砲塔を取り外し、複合装甲と後部ハッチを追加し、乗員3人に加え歩兵が7人乗り込めるよう座席を設けた。
奪われたアチザリットは装備を改良した最新型とみられる
こうして、49トンという相当な重量級の装甲兵員輸送車が誕生した。アチザリットはT-55よりも重い。代償としてパワーウェイトレシオ(出力重量比)は18馬力/トンと低く、機動性もT-55より劣る。 イスラエルはアチザリットを約300両製造し、2004年と2008年のガザ侵攻など数度にわたる大規模な紛争を経て、アップグレードも着実に行ってきた。最新の「マーク2」モデルは米デトロイトディーゼル製の新しいターボチャー(過給器)付きディーゼルエンジンを搭載し、機関銃向けにはイスラエルのラファエル製の遠隔操作式砲塔を採用している。 2023年に就役していた100両規模のアチザリットは、おそらくほぼすべてマーク2タイプだと考えられる。ハマスのテロリストたちがガザ周囲に張り巡らされた境界フェンスを突破し、大勢のイスラエル人や外国人を殺害、拉致し始めた時、そのうち少なくとも12両が、イスラエル南部ナカルオズのイスラエル軍基地にあった。 テロリストたちはこの基地を制圧し、そこに配備されていたアチザリットを奪い取った。